「お城巡り~第6弾その2~」
冬らしい冬になり、インフルエンザも流行してきました。
まだまだ寒い日が続きますが、皆様、体調は崩されていませ
んでしょうか。コンサルタントの小山です。
相続に関することで、今回は法定相続分について簡単に説
明をしたいと思います。相続関係の書籍やテレビなどで、ご
存じの方も多いかと思います。下記のように相続人の立場に
よって、それぞれ相続分が異なってきます。
①相続人が配偶者と子の場合
配偶者:2分の1
子 :2分の1(複数の場合は、2分の1を人数で均
等に割るため、2人の場合は4分の
1ずつ)
②相続人が配偶者と直系尊属の場合
配 偶 者:3分の2
直系尊属:3分の1(複数の場合は、上記と同じで、2
人の場合は6分の1ずつ)
③相続人が配偶者と兄弟姉妹の場合
配 偶 者:4分の3
兄弟姉妹:4分の1(複数の場合は、上記と同じで、2
人の場合は8分の1ずつ)
※ただし、異父母の兄弟姉妹がいる場合には、
両親を同じくする兄弟姉妹の相続分の2分
の1になります
上記が法定相続分となりますが、遺産分割協議書で相続人
全員の合意があれば、単独や異なる持分で相続することも可
能です。不明な点は、弊所までご相談ください。
さて、お城巡り第6弾その2として、前回に引き続き、会
津若松城についてご紹介します。前回は、お城そのものでし
たが、今回は城にまつわる歴史についてご紹介します。
初代の会津若松城は、戦国時代末期に豊臣秀吉の部下であ
る蒲生氏郷(がもう うじさと)によって築城されました。
氏郷はそれまで「黒川」と呼ばれていたこの地方を「若松」
に改め、現在の会津の基礎をつくりました。
蒲生家は2代で終わり、その後上杉景勝(うえすぎ かげ
かつ)が越後から転封し、越後と会津を統治ました。その時
に、会津若松城の西側に神指城(こうざしじょう)を築城し
ようと基礎部分まで造成しましたが、関ヶ原の戦いの敗戦も
あり完成せず、幻の城となりました。ちなみに、直江兼続
(なおえ かねつぐ)が徳川家康に送った有名な直江状(な
おえじょう)は、この頃に書かれたものです。
上杉家が米沢へ転封後、蒲生家が入封しましたが、また2
代で終わり、加藤嘉明(かとう よしあき)が伊予松山から
転封となりました。地震で倒壊した城を再建し、現在の会津
若松城の原型を築城しました。嘉明は、現存天守で有名な伊
予松山城も築城しています。
加藤家の後、会津藩の藩祖となるのが、保科正之(ほしな
まさゆき)です。正之は徳川家光の異母弟で、保科家へ養子
に入りましたが、その有能さから初代会津藩主に命ぜられ、
また家光からの信頼が厚かったようです。あまり有名ではあ
りませんが、正之は高齢者に対し、日本初の年金制度を創設
された方です。
今回は少し長くなりましたが、会津の歴史は非常に興味深
く、また歴史上有名な武将も関わった土地です。興味のある
方はネットや書籍だけでなく、現地を訪れてみてはいかがで
しょうか。
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